100名城#12 武田氏館~要害山城~甲府城~新府城~(車中泊)~諏訪原城~浜松城~掛川城~高天神城~駿府城~興国寺城~山中城【後編】


100名城#12 武田氏館~要害山城~甲府城~新府城~(車中泊)~諏訪原城~浜松城~掛川城~高天神城~駿府城~興国寺城~山中城【後編】
2024年5月5日。
ゴールデンウィーク2日目。
道の駅にらさきで入浴を逃して迎える朝。4時起きである。
山梨から静岡の城を全部攻める。
まずは終日スタンプが押せる諏訪原城へ。
ここで城巡りの欠かせない相棒に巡り合うことになる。
韮崎を出たのが6時くらい。7:53には諏訪原城に到着。
山梨から静岡に抜ける高速道路は初めて使った。
無事24時間押印可能なスタンプをゲットして散策開始。
ここは山城といってもアップダウンがほとんどない平地。
ここも武田氏滅亡に絡む城なんだそうだ。
ここで一つの桜の木の枝に出会う。

丈は95センチ程度で、木の皮がしっかり張り付いていてそれでいて硬い。
杖にして歩くととても具合がいい長さ、硬さ。
男の子は元来、道に落ちている石ころや木の棒をいたく気に入り持ち帰る傾向があるのだが、この枝には並々ならぬ運命的な出会いを感じた。
山城を攻略するにあたり杖が必須であることは、徳島の一宮城でいやというほどわかった。
相棒を連れて帰りたい。
木の枝はその樹皮を纏ったまま、クラウンアスリートのトランクに入れられた。
名杖(めいじょう)諏訪原の誕生の瞬間である。

次に目指すは東から、浜松城である。そう、スタバRTAですでに訪れている城。
正直あの土地に二度と行く気はしなかったのだが、スタンプ押しにだけ行ってやる。
わかる人にはわかるけど、遠州人のプライドの高さ、傍若無人ぶり、井の中の蛙っぷりは目に余る。偏見で結構。
相変わらず道路を走る車のマナーは最低だが、無視してスタンプゲットしたのが9:30。開店直後で相変わらず精密機械のような移動。
1秒でもはやくこの土地を去りたいという思いで掛川城へ。
国道1号をひた走り、10:30には掛川城に到着。
静岡の真ん中らへんは高速の途中なのでなかなか降りる機会がない。
掛川城では、期日がほど近い静岡県知事選の舌戦が繰り広げられていた。
こういうのも、その土地土地にタイミングで行かないとわからないのよね。
掛川城は素晴らしく整備された立派な広いお城だった。復元天守閣ではあるものの、展示物やらは立派である。ここはもちろん、徳川のお城である。
掛川城を後にして20分程度の移動で、武田氏最後の地、高天神城に到着。
枝の皮を剝いた名杖、諏訪原のデビュー戦である。

頂上到達が12:00ジャストくらい。わずか20分程度の登山である。
初仕事を終えた諏訪原をトランクに寝かせ、大東北公民館へ、高天神城のスタンプを押しに行く。

お腹が減ったので道すがらいい店ないかな~~と捜索。
菊川市のCARROTさんでお昼をいただく。カレーと目玉焼きのコンボ。
美味しかった。
静岡市を目指して東へ。
駿府城は、2017年に息子と来たんだった。
市役所のタワーから見た限りだったけど。
言わずと知れた徳川家康の城(知らなかった)。
未申櫓が残っているが、天守閣はない。復興運動はあるらしいが。
スタンプをもらい、東へと急ぐ。まだ14:45とはいえどもう14:45でもある。
途中、地元スーパーしずてつストアで晩酌のお供を買い、並んだクラウンアスリートと写真を撮った。
興国寺城についたのは16:20。比較的小規模な山城だったので楽に天守台跡まで到達。
静岡県は残り1つ、100名城の山中城。間に合うかな、と思いながら車を飛ばし、17:26に到達。日が沈むギリギリの時間である。
ここは100名城だけあって、広い、夕日が美しい、山城にしては歩きやすい。
夕暮れ迫る中、つつじが咲き誇る山の中を富士山眺めながら歩くという素晴らしい時間を過ごした。ここも諏訪原とともに歩いた。

春の、日暮れ時。
山中城のベストの時期に訪れることができたのではないかと思った。
さて帰りは大渋滞を覚悟。18:19に山中城を出る。
覚悟するまでもなく、国道1号は全く動かないレベルの渋滞。
そりゃあゴールデンウィークですから。
家に着いたのは21:46。たっぷり3時間半ほどかけた。
2日間の走行距離は案外短めで666㎞。
やっぱり山梨静岡、言うても千葉からは近いんやねと思いました。
しかし何とこの2日目は、1日7城を回るレコードを記録。これはもう抜けないと思う。
100名城 28 残り 72
続100名城 26 残り 74 

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