100名城#13 新発田城~村上城~鶴ケ岡城~(車中泊)~仙台城(青葉城)~ 多賀城~山形城~米沢城【後編】


100名城#13 新発田城~村上城~鶴ケ岡城~(車中泊)~仙台城(青葉城)~
多賀城~山形城~米沢城【後編】
2024年5月12日。
山形県三川町で車中泊が明けた朝。4:30。
綺麗な朝日とともに目覚め。雨が降らないのは本当に助かる。
それだけで車中泊の幸せ度合いは5割くらい増しになる。
気温は13℃、肌寒いが快適。
朝飯はいつものパンとナッツと、酒田納豆。ホットコーヒーは缶で、いちごのデザート付き。
クラウン納豆™に山形のだしをブレンドする。塩味が効いて美味い。
鶴岡城からは山形城を目指すか、青葉城を目指すか迷ったが、帰りに山形城は寄れるだろうということで仙台青葉城を目指す。出発は5:42。
こちらも、スタバRTAの時に書いた通り、再訪である。
途中雪の残る月山湖を通り、山の中をひた走る。
7:13 寒河江SA、
8:27 青葉城駐車場
スタバRTAで2023年8月7日にLS460で訪れて以来、9か月ぶりくらいの再訪。前回来たときは時間が早くてスタンプ処も開いてなかった気がする。
この日もスタンプ処が開くまで30分ほど城内の散策をする。
前回は伊達政宗公の銅像だけしか目に入らなかったが、なんとも立派な石垣があるではないか。
やはり城巡りをしていると見るポイントが変わってくるのだなあと理解。
咲き誇るつつじが美しい。9:00開店とともにスタンプをゲット。
仙台城(青葉城)はNo.8のスタンプで、初めての一桁台スタンプに興奮を覚える。
青葉城を後にし、仙台はガソリンが安かろうということで給油。681.2km走行で38.69リットル。17.6km/ℓの超優秀燃費。
次は多賀城へ。
多賀城はものすごく歴史が古く、なんと八世紀(724年)の記録が残っているという。八世紀の城って、、、何時代だよ!?と思ってしまった。そしてそう、ちょうど2024-724=1300年記念の行事を準備中という。それに向けた工事も大規模に行われていた。
1年1年早いなあと思うけど、1300年の歴史を持つ城、、、、
日本Amazing Japanすぎる。
1300年の歴史をかみしめながら山形城へ移動。10:35に出発して、11:12に菅生(すごう)のPAに到着。牛たん麦飯丼1,280円を堪能し山形へと戻る。
山形城着が12:26。比較的駐車場もわかりやすい都市型駐車場(地下)だった。
最上義光公の銅像を据えた山形城は敷地が広い広い、、、これで入場料なしなのだから大盤振る舞いだなあと思ってしまった。
園内相当歩くものの、いずれの場所も案内板などが整備されていて力を入れている様子がわかった。人出も多くにぎわっていた。
そしてラストの米沢城に向かう。
13:10には山形城を出て、途中地元スーパーのYamazawa(ヤマザワ)成沢店へ。米沢城着が14:45。まあまあの時間。
米沢城は、伊達政宗、直江兼続、上杉景勝などがゆかりの武将。前田慶次のデフォルメキャラクターもいた。だがたぶん一番は上杉謙信公、なぜならこの米沢城跡には上杉神社という神社が建てられ、上杉謙信公が祭られているのだ。上杉謙信は新潟の春日山城で49歳で没。その後遺骸は甲冑を着せられ漆で満たされた甕に密封されたという。
その遺骸はこの地山形米沢城まで移送され本丸内に廟が建てられたという。
城跡としての見どころは薄いが、米沢市民の上杉謙信崇拝の思いが伝わってくる土地だった。
あまり意識はしていなかったが、その土地土地の崇拝する戦国武将、地方のカラーがあって面白いなあと城巡りをして思うのだった。
さて、宮城県は白石城が残ってしまったがこの時間からは攻め込むのは無理なのでおとなしく帰ることにする。時刻は15:17。自宅までの距離は335㎞。到着予想は19:35、東北道で渋滞がなければ余裕だろう。
多少の混雑はあったもののピッタリ19:35に家に着いた。469.2km、2日間の旅の距離は1150.5㎞、ODOメーターは94933㎞である。
無事故無違反の良い旅であった。
100名城 32 残り 68
続100名城 29 残り 71 

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